銅銭糖(どうせんとう)は熊本・大津町の銘菓です。

昔の大津町は水車がたくさん有り、米粉を挽き銅銭糖を作るお店がたくさんありました。
昔は数十件で銅銭糖(どうせんとう)が作られていましたが、現在は3件ほどにまで減少しています。
赤く囲んだところが、銅銭糖(どうせんとう)やその他のお菓子を売っていたところです。

 

銅銭糖(どうせんとう)

 

 

銅銭糖(どうせんとう)

 

銅銭糖(どうせんとう)

 

銅銭糖(どうせんとう)

 

銅銭糖(どうせんとう)

 

銅銭糖

 

銅銭糖

大津町文化財保護委員長
吉村昌之 氏より
清正公の事業 原野を穀倉地に

 

■銅銭糖の歴史
大津町は中央に走る今の国道57号線を境に、北部の畑地帯と南部の水田地帯へと分かれる。
今でこそ阿蘇の自然と豊富な水に恵まれ、一大田園地帯を形成しているが、かつては大津原野とよばれる火山灰土壌が広がっていた。
この荒地に水をひけば耕作のできる土地になると見抜いたのは加藤清正である。
肥後の領主として入国する際にこの大津原野を見た清正は、ここに白川の水をひくことを計画する。
清正の死後、息子の忠広が土井手の開さくに着工。
そしてその後は細川氏がこの遺志を継いで、ようやく水路が完成した。
大変な労力と四十年という歳月が費やされたが、この大事業によって大津原野は大津千町とよばれる穀倉地帯へと見事に生まれ変わったのである。

 

この穀倉地帯からとれた穀物を脱穀し、できた米の粉から作られたのが「銅銭糖」である。水車でついたり、石臼でひいたりした米の粉を固めたもので、かつては中にあんも何も入っていないごくシンプルなものだった。
とはいえ、当時米は貴重品だったので、ある階級の人しか口にすることはできなかったらしい。

 

銅銭糖(どうせんとう)という名前の通り、一銭銅貨を五十枚重ねたそのユニーク形も、実は庶民の憧れを投影しているのである。

 

■銅銭糖の種類
何も加えていない白色の物と、抹茶を加えた緑色の抹茶味がありました。

 

■銅銭糖いつから
今から140年前から販売していました。

 

■銅銭糖の味
お供え物のラクガンより少し甘くて、柔らかいです。 あんこは、もなかに使われているあんこの様にしっとりしています。

 

■価格はお店によって違います。
1本 30円 (平成20年当時) 

 

■銅銭糖名前の由来
昔の銅のお金を50枚束ねた形から名前が銅銭糖と言う名前になっています。